日本陸軍徴傭船 白鹿丸(1/700 フルスクラッチ)
IJA marchant ship Hakushikamaru(original made)
ことのはじめは2005年2月10日。うちの祖母が白内障を再発して、手術をすることになりました。
最悪目が見えなくなる可能性があるときいて、「よし、なら悪くなる前に亡くなった祖母の従兄弟」さんの乗っていた船を作ろう」と思い立ちました。
祖母の従兄弟は新潟県柏崎出身で昭和19年に陸軍に志願、半年の訓練の後一度自宅に戻り、その足で南方へ向かう船に乗ったそうです。
問題は、その乗船した船舶の特定でした。
残念ながら、私は遠縁すぎて新潟県庁に問い合わせても軍歴が照合できず、とりあえず昭和19年「秋(9月から11月)に沈んだ船舶から可能性のありそうな船をピックアップすることになりました。
何名かの方々のご協力で新発田の連隊に組み込まれた可能性が高いことがわかりましたが、時期が時期だけにやはりどこの部隊に配属になったのかは特定はムリでした。
2月18日。いい資料があると聞いて、徒歩でうちの対岸にある船の科学館に赴く。すると、なんとそこの資料室の学芸員さんが私の掲示板の書き込みを見て資料を用意してくださっていました。
その資料は「秘」マークのついた徴用船の船籍簿で、線型からデリックの大きさなで詳細に書かれていました(一部喫水が全部同じだったりと「?」な部分もありましたが)。
この文書は昭和19年に入ると鍵をつけて金庫につながれ、閲覧のみ許されたそうです。
さらに幸運なことに、戦前小樽港に入港した際の「白鹿丸」の写真も残されていました。
学芸員の方々からのアドバイスや資料をもとに、ここから初の輸送船、それもスクラッチビルドが開始されることになりました。
さて、祖母の従兄弟は陸兵だったので、「陸兵を乗せていた船」をピックアップしていきました。
陸軍の徴庸船はA船、海軍はB船、民間船はC船と呼ばれており、このなかでA船で死傷者の多数出た船・・・がそれに該当する、と思われました。
資料を総合して、結果的に残ったのは
志あとる丸(川崎造船所 たこま丸型)
扶桑丸 Lpp:144.93 B:17.52 D:10.80 m
あらびあ丸(三菱長崎造船所 まにら丸型)Lpp:144.78 B:18.59 D:9.98 m
白鹿丸(浅野野造船所 白鹿丸型)Lpp:135.64 B:17.68 D:12.19 m
大彰丸(戦時標準船 2AT型) Lpp:128.00 B:18.20 D:11.10 m
で、そのなかから比較的作りやすくまた可能性の高い「白鹿丸」を建造することになりました。
初めてのスクラッチビルド船でしたが、すでに竜骨からの木造帆船模型の建造経験はあったので、「案ずるより産むが易し」でした。
しかし、当然一般船舶、それも徴用船と軍艦では多くのメソッドが違っていました。
船橋は正面から見て外側にたれているし、砲は高い場所に設置されている。後錨は当時の一般船舶にはついていないほうが普通、ベンチレーターの内部は赤い・・・などなど。
それでも、祖母の入院は月末の25日と決まっていたので、建造は進められ、なんとかまにあわせることができました。
完成したのは、淡いグリーンに塗装された沈没時の姿の「白鹿丸」でした。
武装は、高射砲2門に船橋上に7.7mmを2丁。さらに、後部デッキ上に迫撃砲を設置しています(確証はないですが)。
ちなみに祖母は喜んでくださったのですが・・・・・案の定、目が悪くて細かいところはわからなかったのでした。
それでも、おそらく当船舶がお亡くなりになった祖母の従兄弟の棺桶替わりになったのは事実なので、製作中は「楽に死ねただろうか・・・」などと思いながら図面を見ていました。
This photo is taken by portcontrol of Otaru before war, but it shows clear face of this rare ship.
Shiroshikamaru had been lend by IJA and sunk on october 1944, probably together with my grandmothers cousine(he volunteered on 1944, and he died together with tranceporter).
I made this ship before my grandmothers eye surgery.
こうして完成したのが、この陸軍徴庸船「白鹿丸」です。
白鹿丸 Hakushika Maru
起工:1917.2.11
進水:1917.7.17
竣工:1917.10.28 辰馬汽船株式会社(西宮)の 白鹿丸
1944.10.18 (昭19)フィリピンのマニラ湾南方(14.04N,119.52E)で米潜Bluegil(SS-242)の雷撃により沈没
乗船部隊2000名のうち1156名と船員30名が水没。
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