帝国海軍戦艦金剛型「比叡」(開戦時)(1/700 フジミ)
IJN battleship HIEI 1941(fujimi)

金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
送信者 金剛型戦艦「比叡」
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送信者 金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」

参考文献:学研 歴史群像シリーズ65「金剛型戦艦」  
    潮書房 丸スペシャル「日本の戦艦」  
    ダイヤモンド出版 日本海軍艦艇写真集 戦艦
 2011年発売のフジミ製キットをベースに製作いたしました。
 昔作ったハセガワ製とは雲泥の差で、ハセガワのそれが無理やり金剛型をなんとか標準化してそれぞれの差異を極力少ない部品で表現しようとしているのに対して、フジミ製は金剛型各艦をそれぞれほぼ 完全に別個の船として造っているようです。
 実際、特にこの「比叡」は他の3艦とは差異が最も甚だしく、バルジ、つまり船体の太さまで違っていました。
 フジミの新作は明らかに上記文献資料に基づいて製作されており(推定部位など)、ディティールに関しては艦首下部にあるパラペーン展張用金具まで再現されているあたり、かなりの知識を持った人間が 設計したのは明らかです。文献資料・写真資料を照らし合わせても矛盾はなく、特段改造も必要ありませんでした。また、艦首・側面フェアリーダーや電路など、ディティールもそのまま使えるクオリティでした。
 設計段階からエッチングパーツを使用することを意識した設計もあり、部品分割・加工もたいへんラクでした。
This model is based on Fujimi,s kit sold on 2011.

<甲板>
金剛型戦艦「比叡」

 甲板は複数のデッキタンでグラデーション塗装しています。
 アンカーチェーンを本物の鎖に換装、錨もファインモールド製プラ部品に換装しています。

 <艦橋>
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
送信者 金剛型戦艦「比叡」
送信者 金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」

 この「比叡」ですが、大和型のテストケースとしての性格が色濃く出ており、同型艦の中でも異色です。
 文献資料に基づいたのか、ハセガワ製キットでは表現されていなかった旗甲板までちゃんと製作されていました。
 テスト中の写真ではまだ艤装品が未搭載だったためからっぽだった位置に配置される機器類もしっかり載っています。
 「写真・日本の軍艦」のキャプションに、、戦艦ではこの比叡と大和にのみ搭載されたという13mm4連装機銃をここぞと装備しました(これは13mm機銃そのものを指しているだけの可能性もありますが)。
 羅針盤艦橋前面にあるメンテ用出入り口らしきへこみも再現されていました。
 哨信儀・探照燈管制機はファインモールド製エッチング、双眼鏡はハセガワ製エッチングを使用しています。
 艦橋トップは、開戦前から最後まで、白く塗装されていました。

Benieth the light, there is 4of13mm machineguns, which had only been installed on HIEI and Yamato.

 <後楼>
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」

 後楼も特徴的で、支柱は中甲板までのびて固定されており、上部においては3本の柱が結合、主楼のみトップのクロスツリーまで伸びています。
 いつ工事されたのかは不明ですが(おそらく開戦前?)途中のガフの位置が最後の公試運転中の写真と比べると上に移動しています。軍艦旗は戦闘位置としてこちらに掲揚しています。
 また、前楼と同様に九八式方位射盤照準装置が置かれているのも特徴です。
 後楼マストと煙突の間にある構造物は、文献資料によると高角砲弾薬庫だそうです。
 フジミ純正エッチングだけでもこの複雑なマストは再現できますが、ここは自前の真鍮線も使って再現しています。

<主砲>
 砲身は真鍮製のものを使用。
 ミッドウェー海戦時は日の丸が第2,4砲塔上に描かれていました。

main gun barrel is made of brass.
Hinomaru had been paited on 2nd and 4th turret during battle of Midway.

<副砲>
 砲身はオーバースケールですが、真鍮パイプで表現しています。

<高角砲>
 八九式12.7cm連装高角砲はやはり2011年発売のピットロード製部品を使いました。
 砲身にテーパーがついている点でただの真鍮パイプよりも形状は正確だといえます。

<対空機銃>
ピットロード製の25mm連装機銃と、0.8mmプラ棒製の弾薬箱をのせています。

<その他>
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」
金剛型戦艦「比叡」

よく間違われるプロペラのピッチですが、同型艦の「霧島」を参考にすると、キットのままで大丈夫みたいです。
 ボートとダビッド類はピットロード製に換装してあります。
 カタパルトはジョーワールド製部品を使っています。
 ボート類の配置はかなり現場の裁量・融通がきいたらしく、ミッドウェー海戦後の写真を見ると、図面にはないものが乗っていたり、ボートを 3段重ねていたりとかなり無茶なことしています。
 なお、同写真を見ると甲板上に艦載機がありませんがおそらく写真の時点では対潜哨戒のために飛んでいって留守である と思われます。開戦時の定数は2座水偵3機(実際本当3機積んでいたかは不明)、昭和17年7月当時は機動部隊配属の比叡・霧島は九五式2座水偵2機、零式3座水偵1機 を搭載していたそうです(金剛・榛名は九五式3機のみ)。

 こちらは、2014年制作のウォーターラインになります。


Since June 1942, Hiei and Kirishima equiped 2 type95 recon plane and 1 tupe zero 3seat seaplane.
 
 追記:2015年11月1日、書泉にて開催されましたイベントにて、「比叡」の元乗員の方より、インド洋作戦当時の霧島の写真をいただきました。
 その方は比叡の甲板上で撮られた写真も持ち込まれて、「比叡」に関して以下の特徴が確認できました。
 ・比叡の4番砲塔のそばでご本人が写られていて、30度くらいの角度の位置に大き目のキノコ型通風塔があった(昭和一六年撮影の写真でも確認できる)。
 ・4番砲塔の接合部には、20cmほどの大きさの砲塔角度確認用と思われる数字が記入されていた。
 ・艦橋左右に伸びたヤードは軽めの肉抜き穴があり、手すりはなく、足をかけるワイヤーだけがぶらさがっていた。ヤードの先端には空中線が展張されていた。
・公表した写真は九五式水偵が三機着水して戻ってきたところを艦橋基部付近から左舷側後方に向けて撮影したものと連続したもので、零式はみあたらなかった。九〇℃舷側に向けられたクレーン基部から 外側の舷側に、錨見台のように外に張り出した台があった。
・八九式連装高角砲上部のカバー確認できず
 In nov.2015, I met son of crew of Hiei.he brought some photos of father, on the deck of Hiei during battle of indian octean.
 The photo was brought to me from the son of Hiei,s crew. he brought about 10 pitcures.
 From his photo, i found some details of Hiei on march 1942;
 
 The signal yard on bridge had no handrails, only foot wire was hanging below.antenna lines were attached on the end of yard.there were small holes on yard plate.
 Owner,s father was standing beside 4th turret, and about on 20degree, there was large (about 30cm?) mashroom shape vent.
  Edge of turret had large numbers painted, to know the angle from bridge. each number was about 20cm
I could not confirm cover on the top of AA guns.
 Picture was taken before or after the arrival of 3 type95 reconplane comming back from port side.
 These photos were private, but if he agree, maybe we can share(I got only one picture).

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