一等巡洋艦「春日」(1904〜5年)(1/500 フォーサイト)
IJN 1st class cruiser Nisshin class Kasuga1904 ~5(Forsight)
参考文献:呉市海事歴史科学館「日本海軍艦艇写真集 巡洋艦」
KKベストセラーズ「日本海軍全艦艇史」
日本海軍としては珍しい、イタリア製の艦です。CGは旅順要塞攻撃時をイメージして製作しました。
フォーサイトから2016年に発売になったレジン・メタル製キットをベースに制作いたしました。真鍮製の銘板以外内容は姉妹艦である「日進」と同一です。
「春日」と「日進」の大きな違いはヤードの数(春日が3本、日進が2本)と、なんといっても本艦だけが前に装備していた40口径25cm単装砲です。
本キットは1つ4万円とかなりお高いですが、レジン製本体にはほぼ気泡ゼロ、マスト・支柱用の真鍮線、備砲等メタル部品が付属と、アフターパーツなしでも十分なディティールを備えられます。
それだけでは足りない個所については個別にこれからご説明いたします。
今回は通常航行時を想定して製作しています。
This model is based on 1/700 kit from Forsight, released in 2016.
Content is same as Kasuga, but nameplate made of brass is original.
<艦首>
錨甲板上のキャップスタンはGenuie modelのレジン製部品で再現しました。
艦首フェアリーダーはファインモールドのプラ製に交換しました。
旗竿も、真鍮線に交換しています。
STEM
Fairleads are made of plastic parts from Finemold.
<舷側>
窓はすべて0.5mmドリルで開口しています。
windows are all opened by 0.5mm drill.
<艦橋>
艦橋は、支柱を付属の0.4mm真鍮線以外にも太さの異なる真鍮線で再現しました。
春日は通常航行状態を想定して、手すりには1/700艦船模型用の手すりを使用しました。元々オーバースケールだったのでちょうどいいものでした。
階段は1/700用の物を流用しています。
探照灯はメタル製で、鏡面は金属の地肌を露出させて表現しています。
伝声管は、0.3mm真鍮線で再現しました。
防水扉はエッチング製のものをはりつけています。
<マスト>
マストはキット付属の0.8mm真鍮線を使用しました。ヤードは0.4mm真鍮線製です。
空中線は、0.015mm鋼線で再現しました。
<主砲・副砲>
後部主砲は、スケールの異なる砲身を流用しています。
砲塔は接着していないので、指で押せば簡単に旋回可能になっています(仰角はつけられませんが)。
副砲は、アドラーズネストの1/700部品に交換しました。15cm砲は15.5cm砲、76,2mm砲は実際は12,7cm砲の砲身を流用しています。
主砲の砲塔天井には、おそらく海賊と水兵の反乱対策の水冷機銃が載っています。これはプラ棒と真鍮線で自作しました。
Large gun barrels are replaced to brass parts for 1/700 scale.
Machineguns on the roof of turrets are self made.
余談ですが、知り合いのポーランド空軍中佐のAndrew Obluskiさんのおばあさんの兄弟が、旅順要塞(ロシア名ポートアーサー)でお亡くなりになっているそうです。
帝政ロシア当時、ポーランドはロシア領で、旅順にいたおそらく15%ほどの将兵がポーランド出身の徴兵でした。
捕虜となったこれらのポーランド出身兵士から反政府勢力の要員を確保すべく、ポーランド独立運動家のヨゼフ・ピルスドスキーさんとロマン・ドモスキーさんという方が日本まで
来られたそうですが、同じ東京に住んでいながら会うこともなく反目し合っていたそうです。
I have heared that brother of Andrew Obluski, polish airforce occicers grandmother died off Port Arthur during the Russo-Japanese War. But Poland was then occupied by Russia and he think
c. 15% of Russian soldiers were then Polish men. All were drafted against their will (I mean soldiers & seamen not officers).
Two Polish underground independence movement leaders Jozef Pilsudski & Roman Dmowski soon went to Tokyo to organize Polish volunteer units of Russian
POW of Polish origins.
If war lasted longer there was a chance that Polish soldiers would fight together with Japanese against Russians.
But these two men were bitter enemies and always tried to destroy themselves. In fact they were living in Tokyo in short distance but did not met.
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