帝国海軍戦艦金剛型「霧島」(開戦時〜昭和17年4月)(1/700 フジミ)
IJN battleship Kirishima 1941~April 1942(fujimi)



参考文献:学研 歴史群像シリーズ65「金剛型戦艦」  
    潮書房 丸スペシャル「日本の戦艦」  
    ダイヤモンド出版 日本海軍艦艇写真集 戦艦
 2012年発売のフジミ製キットをベースに製作いたしました。
 状態は、昭和16年10月に出師準備を終えたときから、昭和17年4月に佐世保で最後のドック入りをするまでの状態にしています。
 フジミの金剛型の中では後発だったため、かなり「金剛」と比べると出来がいいので、似たような形状で満足であれば「金剛」よりこちらをお勧めしたいです。
 キットも特段欠陥はありませんでした。
 設計段階からエッチングパーツを使用することを意識した設計もあり、部品分割・加工もたいへんラクでした。
This model is based on Fujimi,s kit sold on 2012.
condition of this models is from oct.1941 to april 1942, bwfore going to the last dock.


<甲板>

 甲板は複数のデッキタンでグラデーション塗装しています。
 ボート類は、ピットロードとファインモールド製のものにしました。
 通風塔は、金属製とレジン製のものを混ぜて使っています。
 ホーサリールは、エッチング製のものにスプリングでドラムに巻かれた綱を表現しています。
 アンカーチェーンを本物の鎖に換装、錨もファインモールド製プラ部品に換装しています。
 キャップスタンはレジン製の、実際にカムまで表現されているものを使っています。

anchor chain are made of real metal chain.
Capstan is made of resin parts.
Boats are made of parts from Pitorad and Finemold.
Ventilation towers are made of metal and resin parts.
 
 <艦橋>

 開戦時から昭和17年の日本艦艇の特徴として、艦橋トップが夜戦の際の敵味方識別のため白く塗装されていました。
 実際にこの状態の「霧島」の写真はないのですが、幸い「金剛」の昭和17年の写真があり、これを参考に主砲発射指揮所と測距儀の両方を白く塗りました。 

Since the beginning of war, most of large IJN vessel had painted its top in white, to make idintification on night battle.
There is no picture of Kirishima suggesting this point, but I reffered that of Kongo, picture taken on 1942.
 
 <後楼>

 ガフは0.3mm真鍮線で再現しています。

<主砲>

 砲身はクリッパーモデルの真鍮製のものを使用。
 

main gun barrel is made of brass.


<副砲>

 砲身はアベールの真鍮製のものを使用。

<高角砲>

 八九式12.7cm連装高角砲はやはり2011年発売のピットロード製部品を使いました。
 砲身にテーパーがついている点でただの真鍮パイプよりも形状は正確だといえます。

<対空機銃>
 数的にすべてではないのですが、九六式連装機銃はジョーワールドのエッチング製です。
 数が足りなくて一部ファインモールドのプラ製のものも使いました。
 
<その他>

空中線は、0.015mm鋼線製です。
 antenna cable is made of 0.015mm steel line.
 
<艦載機>

 定数表によると、開戦時の「霧島」艦載機の定数は2座水偵3機、 昭和17年7月当時は機動部隊配属の比叡・霧島は九五式2座 水偵2機、零式3座水偵1機を搭載していたそうです (金剛・榛名は九五式3機のみ)。 この写真と、連続した写真でインド洋作戦時の「比叡」「霧島」は は定数通りの3機を搭載していたことが確認できました。


Since June 1942, Hiei and Kirishima equiped 2 type95 recon plane and 1 tupe zero 3seat seaplane. 「霧島」のディティールに関して、この写真からわかったことが いくつかあります。 まず、開戦時から昭和18年中頃の日本戦艦は艦橋トップが夜 間識別のため白く塗られていたことが知られています(少なくとも 霧島と同型の「金剛」は昭和17年夏、比叡はミッドウェー海戦まで) が、この写真を見る限りでは霧島の艦橋トップは周囲と同じ色のようです。 また、1番煙突のすぐ右にある探照灯が、そのさらに右下にある探照灯 と若干形状が異なるため、これが機銃に換装されているのではないか? という指摘がありました。 それに、後マスト基部付近に見える小さな白い物体は、開戦前からある 機銃ではないか?という指摘もありました。が、これは写真でははっきり しません。ただ、矛盾はない、といった程度です。
  定数表によると、開戦時の「霧島」艦載機の定数は2座水偵3機、 昭和17年7月当時は機動部隊配属の比叡・霧島は九五式2座 水偵2機、零式3座水偵1機を搭載していたそうです (金剛・榛名は九五式3機のみ)。 この写真と、連続した写真でインド洋作戦時の「比叡」「霧島」は は定数通りの3機を搭載していたことが確認できました。

Return to "battleship"