帝国海軍戦艦 武蔵(昭和十九年10月24日)(1/700 タミヤ)
IJN battleship Musashi(24th oct.1944)(Tamiya)
参考文献:
学研 歴史群像シリーズ54 戦艦「大和・武蔵」
防衛省図書館 【 レファレンスコード 】C08030565200「昭和19年10月24日 軍艦武蔵戦闘詳報」
昭和19年10月24日に米軍機の攻撃を受け沈んだ当時の「武蔵」を模してみました。
甲板は黒く塗装されており、土嚢甲板上には単装機銃、カバーのまにあわなかった機銃群には土嚢が代わりに積まれているのが特徴的です。この土嚢は、ピットロード製のレジン部品を使用しています。
This model shows Musashi in her last sail.
タミヤのキットをベースに、ゴールドメダル・ファインモールド・ハセガワ・ピットロード・ジョーワールド製エッチングなどでディティールアップしてあります。
Model is based on Tamiya,s Yamato kit.decolated by photo-etched parts from Finemold, joe world, Hasegawa, so on.
<錨甲板・前甲板>
甲板は、やすりで凸モールドをおとしてから、デザインナイフで材木の目をいれておきます。
さらに、材木の配置パターンを横線で入れておきます。
グレーチングの錨見台は、ジョーワールド製エッチングを使用。
錨甲板の鎖は本物の鎖に換装。
甲板のふちにみられる白い点は、艦橋から見たときに被弾箇所をわかりやすくするためのものらしいです。
間隔も等間隔ではないので、フレームのきりのいい番号を区切りのいい数で表現していたのではないかと思います。
<舷>
側面はデザインナイフでけがいて鉄板の継ぎ目を表現、閉塞された窓は0.5mmプラ棒をスライスしたもので表現してみました。
<主砲>
46cm砲は真鍮製ひきものに換装。ラッタルはジョーワールド製のエッチングを使用。
パーペットの補強板は銅板製です。
<副砲>
15.5cm砲は砲身を真鍮製のものに換装。
側面はデザインナイフで線をいれて放熱板を表現しています。
砲塔基部の、おそらく放熱用と思われる穴も加工したんですが・・・ほとんど見えません。また、砲塔基部背面にはパラペーンを配置してあります。
<デッキ上の機銃>
対空機銃ですが、今回は学研の「戦艦大和・武蔵」にて村岡淳さんが書かれた記事が役に立ちました。
それによりますと、竣工時からあったカバー付きの3連装機銃は「大和」のように移設されることなく最後までそのままで、増設機銃はすべてカバーがなかったそうです。また、一部の機銃は防弾板がついていたそうです。
昭和19年の米軍撮影写真からも、有名な高角砲の代わりに装備された、土嚢に囲われた機銃郡が確認することができます。
甲板上には実際は主砲ブラストで殆ど役に立てなかったという単装機銃(ファインモールド製)を配しています。弾薬箱はプラ角材で作りました。
<艦橋>
艦橋上の二一号電探は若干実物より大きいのですが、非常に形のよいジョーワールド製エッチングに代えています。
ファインモールド製部品の二二号電探のラッパの内側は白く塗られていたそうですが、これだと塗ってもわかりませんね。
艦橋前面側壁には、同じくファインモールド製のプラ部品の逆探を装備しています。
艦橋の連装13mm機銃はここだけ部品の入手の都合で、ピットロードのプラ製。乗員さんの証言から、土嚢を回りに積んでみました。
艦橋後部は「大和」「武蔵」の数少ない識別点のひとつです。ここは各社エッチングの手すりなどをまげてそれらしく作りました。
信号灯類は、ファインモールドの透明部品製。
艦橋トップの防空指揮所には、ハセガワ製の双眼鏡を配置。
窓枠もジョーワールド製エッチングですが、艦橋背面の窓は正確には6角形だったようです。
<煙突>
煙突まわりの蒸気捨て管の一部は、真鍮線で作り変えてます。
煙突脇の探照射燈(サーチライト)は、ファインモールド製の透明部品に換装しています。
<空中線支柱>
竣工時の写真を参考に、真鍮線で組みました。
小さな探照燈が途中に載っています。
艦尾のクレーン上にある、途中で角度の変わっている空中線支柱はジョーワールドのエッチング製です。
<対空砲・機銃>
高角砲砲身はアベール真鍮製に換装。
射界制限装置は0.2真鍮線製。裸の機銃はどれもファインモールド製です。
昭和19年7月24日付けの兵装増備状況調査では、単装機銃は大和が26基、武蔵は25基搭載となっていますが、正確な位置は不明です。おそらく大和が最終時に搭載していた第1砲塔の隣と、艦尾に
搭載していた箇所は同じだったと思います。また、奇数でシンメトリーにならないのは、1基が対空噴進弾の反対側に装備されていたのでは?と考えました。
元乗員さんの証言では、「武蔵」には対空噴進弾の試作品が、元・探照灯跡地に搭載されたそうですが、これは
言われているようなまともなしろものではなく、シンプルな試作品に過ぎなかったようです。とはいえ、資料もないのでピットロード製のプラ部品を使いました。
これから発射される「ン式弾」は、「対空ロケット弾」というより「数秒に一発飛んで行く煙のすごい花火」みたいなもので、弾体の威力よりこの煙の煙幕効果のほうが防空任務効果を
果たしてくれていたそうです(あまりに煙がすごくて自艦の対空射撃が一時不能になったほど)。
<艦尾・飛行甲板>
飛行甲板上のリノリウム歩行帯はジョーワールド製エッチングパーツを使用。
飛行機運搬軌条もジョーワールド製。
昭和19年の通達で大型艦船にも対潜用に爆雷を搭載したそうなので、艦尾に爆雷の入った箱を追加しました。この爆雷の存在は元乗員さんも証言されていますが、ボックスタイプではなく、
軌条式だったかもしれません。
射出機基部直前にあるアンカーは「中錨」「小錨」と呼ばれ、それぞれ役割が違うため左右でサイズが異なっています(「副錨」という呼び方は誤り)。左右どちらがそれだったのかはわかりませんが、
片方はキットのものを使い、片方をファインモールドのプラ製部品に換装しています。
<航空機>
航空機は海戦前に射出してしまっているので載せていません。あっとうまに撃墜されたと、戦闘詳報に書かれていますが。
<武蔵の最期>
2004年、品川区大井町のきゅりあんで開催されました「戦争を伝える絵手紙展」。こちらに、
実際「武蔵」の最期を見届けた元乗員さんが絵手紙を出展されていました。
直接体験談をお聞きする機会があったのですが、なにぶん死にかけた体験だけに、そうそうつっこんだ
質問はできませんでした。が、いくつかの興味深い証言を得ることができました。
その乗員さんは、沈む前に「赤い」艦底を滑り降りて海に飛び込んだそうです(緑ではない)。
武蔵は、沈む前に砲塔が自重で回転を始め、艦首から沈んでいった為ほぼ直立し、その際
3番主砲がすぽんと抜けて水面に落下したそうです。
そして、煙突が海面に達し、海水がざあっと流れ込んだ瞬間、水蒸気爆発が発生。「武蔵」は
水蒸気の煙の中に消えていったそうです。
ご本人は無事本土まで戻れたそうですが、生き残ったお仲間の大半はコレヒドールやマニラまで送られ、
特にマニラ防衛戦に巻き込まれた方々は殆ど助からなかったそうです。
In 2004, I happened to meet one of survivor of Musashi, and he gave me some interesting infomations about the end of Musashi.
He says, he saw the 3rd turret beganto turn roound by its own weight, and ship began to
stand straight at sea.
By that moment, 3rd main gun had been taken off from ship.
After standig , ship began to submerge vertically ,and when seasurface reachied its chimney,
Musashi exploded by its steam, and Musashi disappearec into the sea.
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