帝国海軍戦艦・戦艦「長門」大正13年(1/700 アオシマ)
IJN battleship Nagato class Nagato 1924(Aoshima)



参考文献:

「日本海軍艦艇図面集」

光人社 写真 日本の軍艦 「戦艦2」(模型写真集)

ダイヤモンド社 呉市海事博物館図録 日本海軍艦艇写真集「戦艦」


Reference:
"Blueprints of IJN Vessels"
Kojinsha photograph of IJN vessels
Daiamond sha/ Kures naval museum "pictures of IJN vessels Battleship"
Toshoshuppansha Shigero Kimata "History of IJN aircraft carrier".

 大正13年、当時の「長門」のきわめて大きな特徴である湾曲煙突を装備した状態を再現しました。
 長門は創建当時、艦橋構造物直後にある煙突からの煤煙に悩まされたため、半月状のフードをかぶせるなどの対策をとりました。
 それでも煤煙がエアーポケットとなる艦橋背面に流れ込むため、大正13年初頭にまず「陸奥」で湾曲した煙突が実装され、これの成績が良かったため長門も同年3月末に湾曲煙突を 装着しました。
this model exgibits BB Nagato, when she equiped bowed funnel.
When Nagato was completed, she had difficulty with smoke comming back from funnel. so she equiped half-round cover at first. but it did now work well.
In early 1924,Mutsu instaled bowed funnel at first, and later in march, Nagato equiped it too
 
 この頃の長門と陸奥の相違点は以下の通り。
・艦首菊花紋章の位置は、陸奥のほうが高い
・艦橋の信号桁(ヤード)は長門が90°の方向なのに対して、陸奥は若干後方に向いている
・艦種フェアリーダーの位置が異なる
・1番煙突のファンネルキャップの板の枚数が異なる。長門が3枚、陸奥は4枚。
・大正16年に陸奥は艦首形状を改めて若干前に伸びている。長門はのちの改装の際に同様に改造。
 長門は創建当時、日本戦艦としては最後に防雷網を舷側に装着していましたが、すぐに撤去されています。   
 
Following differences are confirmed between Nagato and Mutsu then;
Emblem of Mutsu is installed a bit higher than Nagato.
Yard of bridge is horizontal by Nagato, Mutsu,s yard is bit angled to aft.
Fealeads position on stem are different.
Plates number on 1st funnel are different. Nagato had 3, Mutsu had 4
In 1927,Mutsu remodified stem, and she got a bit longer than Nagato. Nagato had remodified too in 1936.
Nagato was very last ship to have equiped anti topedo net, but she had soon removed it.
 
 
 今回は港に停泊している状態を再現するため、通行桁(一般の水兵はこの横に伸びた棒をつたって艦を行き来していました)や錨見台を展開、舷門をおろし、国旗を掲揚、 さらに司令長官を迎えた直後に後マストトップに将旗を掲揚した直後のシーンのジオラマにしてみました。
 左舷側では当時は普通でしたが燃料となる石炭を艦内の要員総出で受け入れる、とてもいやな作業を再現しています。 燃料が重油となりポンプでくみ出せるようになると、たいへんありがたかったそうです。
 This diolama shows how to transport coal to ship.
 On port, commander had just reached his ship.
 

<艦橋>

 長門の艦橋構造物は丈夫な太い柱に6本の支柱を加えた堅牢なもので、それまでの3脚マストとは一線を画すものでした。
 各層の床はリノリウム張と推定しレッドブラウンで塗装。探照灯はすべてファインモールドの透明部品にしました。
 Nagato had main pilar on center, and 6 enstrength pilars were surrounded.
Serchlights are made of clear parts from Finemold.
 
 
<後マスト>
 マストは細い部分を真鍮線に換装、補強線を0.1mm鋼線で再現しています。
 長門は大正14年5〜6月、第2砲塔上に特殊滑走台とハインケル式水上偵察機を載せる実験を行っています(のちに2式水上偵察機として採用)が、これは加古・古鷹に装備する ことを秘匿する目的もありました。
 水上偵察機は長門にも装備されることとなり、昭和2年9月には、着弾観測用のアウトリガーが補強され若干形状が変わることになります。
 アオシマのキットにはこの支柱も同梱されていました(このためパッケージ上では昭和2年、となっています)。
 In may to june 1925, Heinkel,s waterplane were tested on 1st turret of Nagato.
 Later, this plane was instaled as Type2 recon plane , and aft mast got remodified too in 1927.
 Aoshima,s original kit had parts to exhibit Nagato 1927.
 
 
 

<構造物・甲板>

 残念ながら当時の「長門」の後部甲板の様子の判る写真・資料がなかなかないため、そんなにいじっていません。
 かろうじて錨甲板付近の写真があったため、重点的にいじっています。
 当時の長門の特徴は、右舷側に錨が2つあったため、錨鎖が3列あることでしょうか。
 甲板の材木は複数のデッキタンを用意して一本一本塗装しています。
 また、石炭を受け入れている現場付近はパステルで石炭のすすをつけました。
 甲板上の通風きのこは、レジン製のものとプラスチック柱で再現しました。
Nagato on this period had 3 main anchors. so she had 3 links too.
 
 
 
<武装>

 砲身はすべてクリッパー製の金属砲身に交換しました。
 7門装備された8cm単装高角砲は、ピットロードのプラ製部品です。
 尚、当時の長門は水中・水中に各4門53cm魚雷発射管が装備されていましたが、不要と判断されて昭和11年の大改装の際に撤去されています。
 Guns are made of brass parts.
 She had 4 topedo tube on both below and upper surface, but removed in 1936.
 
<艤装品>

 舷側に装着されたダビッドは、ピットロードとファインモールド製です。
 舷門・通行桁は、フライホークのエッチング製です。
 ファンネルキャップ・ジャッキステーもフライホーク製です。

 
 
 
<小艦艇類>
 
 17m長官艇、石炭輸送用バージ、タグボートはトミーテックの「戦時曳船セット」からもってきました。
 曳船は400t型港内曳船がモチーフとなっているようです。
 長官艇の煙突は真鍮線製ですが、戦前は実際手すりや煙突など真鍮製の部分は地の色のままでした。戦時下においては、そこもグレーに塗装されています。
 ボートはファインモールド製のオールをかますほぞまで再現されているもので、これにエッチング製の人形とオールをのせて、漕いでいる状態を再現しています。
 一般的に、のろい船のほうが生じる波とウェーキも広がります。
 石炭船は、上下するため緩く船とホーサで固定されています。石炭はサイズ的にかなりオーバーですが、携帯カイロの中身の鉄粉で再現しています。

 
 
 
 
 
  
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