水上機母艦「能登呂」(昭和13年)(ピットロード)
IJN waterplane carrier NOTORO (1938)(pitroad)

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参考文献:

KKベストセラーズ: 福井静夫著 写真 日本海軍全艦艇史    
 
                海軍艦艇史 航空母艦  
丸スペシャル 水上機母艦
モデルアート 艦船模型SP22 「水上機母艦」
防衛省図書館 「航本極秘第一号海軍航空沿革史」
A支那事変198「支那事変航空作戦における諸統計」

 模型屋で安くなっていたのでつい買ってしまいました。買ってから、本船が知床型タンカーだとようやく知ったくらいです。
 今回は折角なので、あまり作られない日中戦争当時の「能登呂」を再現してみました。
 水上機母艦として使用される際は比較的軽貨状態なので喫水線はもう少し上になるはずですが、日中戦争中の写真をみるとさほど気にならない ようだったのでキットのままの喫水線にしました。
 
Reference books/ documents
KK bestsellers Fukui Shiuzo "Pictures and history of all IJN vessels" " History of IJN vessles aircraft carriers"
Maru special "Waterplane carriers"
Model art "Kansen mokei SP vol.22 Waterplane carrier"
JSDF libraly "secret history of IJN aircraft by aircraft department"
"Statistics of IJN aircraft operation during battle of China"

As the model of the vessel was cheap at the shop, I bought one.
I even did not know that this vessel was Shiretoko class tanker.
Considering this vessel as a waterplane carrier, not as a tanker, the draft may be too deep . but I did not change draft because compareing the pictures which were taken during the battle of China did not look so different from the kit.

<艦橋>
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 艦橋に関しては昭和18年3月にセレターで撮影された写真がディティール的に一番参考になりました。
 大きな変更点は左右のウイングに設けられた機銃座で、エッチング製13mm単装機銃と弾薬箱をブルワーク内におさめています。  このブルワークは写真をよく見ると、舷側だけ少し低くなっているようです。
 問題なのは、艦橋構造物背後の構造物。これはキットでは単純な立方体で再現されていますが、写真をよく見ると上下2段になった建物に なっているらしく、その天井にはデリックを固定するトラベラーズロックらしきものも見えます。
 また、左舷後方から見た写真には、タンクらしき円筒のものが横になっていることも確認できました。
 キットの構造物をベースに上の建物とロックを追加、タンクらしきものはプラ棒から作りました。
 艦橋天井には手すりが見えますが、ここの床面だけ重量と床下への熱伝導を考えてリノリウム張りとしました(証拠はなし)。
 サーチライトはファインモールドの透明部品を使用。
 3m測距儀はハセガワ製エッチングを使用しています。
 ループアンテナはファインモールドの飛行機用エッチングパーツについてきたものを使いました。


Detail of bridge structure refered from a picture taken at Siggapore, 1943.
Main change is machinegun deck on side of bridge, and 13mm single AA gun is installed inside.
The structure on back of bridge is just a cube on kit, but according to pictures ,it seems to be a separated structure on up and down.
On the portside, there seems to be someting like barrel or tank on that structure.
There is also a lock bar of crane on roof.
The roof of bridge is covered by linoleum, considered its weigt (just a guess of me).



<対空機銃>
 「丸スペシャル」には、昭和13年当時の「能登呂」の対空機銃を「13mm単装対空機銃2基、留式20mm単装機銃およそ20基」とあり、 「海軍艦艇史」には「相当数の12mm機銃と留式7.7mm機銃」とあります。
 しかし、時期を考えるとそんなにたくさんの機銃を装備したとも思えない(陸や河川での対人戦闘を想定しているのならともかく)ので、艦橋脇 の13mmのみ装備としました。

On "Maru special waterplane carrier", it describes NOTOROs AA machinegus as "13mm single of 2, Rouice single 20mm gun about 20". and Shizuo Fukui say "many 12mm machineguns and Rouice 7.7mm guns".
Considering the age , I only installed 2 of 13mm single guns, but maybe many small guns were installed in order to protect the ship from attack of infantries.

 
<船体>
 この時期の船体には、船体側面前部に大きな補強鉄板?らしきものがはりついていることが確認できます。よく目立つので、実際にプラ板を 貼り付けてみました。
 鉄板の継ぎ目はデザインナイフでけがいて表現。0.3mmプラ棒で汚水捨て管を追加。
 船体ブルワークには何かドアのようなものが見えますが、これらはどうやら係船ワイヤーをボラードに通すためのもののようです。


A big plate is appearing on both side of body.
Many small doors on body seems to be for mooring vessel (there should be poles on back).


<艦首>
 艦首フェアリーダーはプラ板から新造。菊のご紋を追加。
 ウインドラス上の鎖は本物の鎖に換装しました。
<主砲> 「艦船模型スペシャル」22号では「12cm単装砲2基、8cm高角砲2基(1937年まで搭載されず)」「8cm高角砲は37年より搭載」と あります。
 8cm高角砲はWLシリーズ共通部品のものを使いました。
<煙突>
煙突の雨よけは0.15mm真鍮線製です。
蒸気捨て管などは他の襟裳型のものも参考にしました。
<甲板>
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 甲板はまだ天蓋があった頃の写真を見ると木製甲板だったようなので、キットのリノリウム押さえ金具を撤去してからデザインナイフでけがいて 木甲板を再現しました。
 ついでに、ガソリンが入っているであろう防腐塗料色のドラム缶もおいてみました(航空燃料を船庫から直接くみ上げるとも思えませんし・・・・・)。


Deck is covered by wood, according to the picture taken just after the explosion accident.
In addition I put many cans on deck, containing fuel for aircrafts.


<その他>
 デリックはプラ棒と真鍮線で新造しました。  
 マストまわりの構造物はキットの部品をベースに細い部分を真鍮線やプラ材で作りました。
 問題なのはキットを組んでから気がついたのですが、ひんじの部分とアームを支える船橋が水平になってないのは困りました。 
 とりあえず少し斜めになりましたが、船体そのものがまっすぐではないのでそんなに見栄えが悪くなるほどでもありませんでした。

<航空兵装>
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 昭和12年に「能登呂」が第3艦隊の第3航空戦隊(昭和12年12月1日より第4に改変)に編入された際に搭載したのは、 第23空の九四式水上偵察機と九五式水上偵察機でした(それぞれ9機を保有)。
 第23飛行隊と「能登呂」飛行隊の機数やパイロットなどの資料は防衛省図書館でもみつかりませんでした(九五式水偵6機で編成された第22空・木更津空はありました)。
 しかし、他の資料から「能登呂」の搭載していた飛行機に関する情報は得ることができました。
 「航本極秘第一号海軍航空沿革史」
 大正14年12月1日 14式水偵4、補用4

A支那事変198「支那事変航空作戦における諸統計」
 昭和10年12月〜昭和11年11月 2座水偵4機(1機補用) 3座水偵4(1) それぞれのべ64・36ソーティ使用
         〜12月11日                               56・35ソーティ   
 昭和12年12月11日〜昭和13年1月10日 九四式水偵一機消耗
            〜昭和13年2月9日  九五式水偵一機消耗(以後特に補充なし)

 となっており、昭和13年秋ごろに撮影された「能登呂」の写真に写っていたそれぞれ3機の九四式・九五式水偵の数の裏づけがとれました。
 つまり、写真に写っている機体が「能登呂」の全航空戦力だったことになります。
 能登呂航空隊の呼称番号は昭和10〜12年は「ノトロ」、13年1月は「13」、15年11月は「Z1」だったようです。
 この模型では、まだどうやって軌条のない甲板上に単フロート機を載せたのかわからない為、フロート下部にカタパルト設置用の台座だけつけて 甲板上に適当に載せています。
 これはあくまで想像ですが、実際は甲板上にフロートを固定する木製ないし金属製の台座があり、さらにロープ・ワイヤーで機体を固定していたのだろう と思います。
 尚、日中戦争中に功績のあったパイロットの記録は現存しますので、そこからパイロットの氏名を一部割り出すことは可能だと思います(模型作りが 目的だったのでそこまで調べませんでしたが)。


When NOTORO was arraid on 3rd fleet, 3rd aircraft team ( changed to 4th on 1st dec.1937) in 1937, NOTORO carried type 94 and 95 waterplane from the 23rd aircraft team (organized by each 9 planes).
Both official document of NOTOTO and the 23rd team did not remain,but I could find some document whch can confirm number and type of aircrafts.

"(secret) history of IJN aircraft by aircraft department"
1st dec. 1925 Type 14 waterplane of 4, reserved 4

"Statistics of IJN aircraft operation during battle of China"
Dec. 1935 to nov. 1936
4 of 2seats plane (1 reserved), 4 of 3seats plane (1 reserved)
each plane worked 64/36 sortie.
Till 11th dec.
worked 56/35 sortie
11th dec. to 10t jan. 1938
1 type 94 3seats plane being lost
Till 9th feb. 1938
1 Type 95 2seats plane being lost

On the picture taken in the fall of 1938, it appears 3 of type 95 and 3 of type 94 waterplaes, and that should be all of her planes.

As I could not find the way to install single float plane on deck, I did not bond plane on deck. the plane should be stable in order to usen on ship, so I think the float had been taken fast by some equipment, and plane had been banded by wires or ropes.

In addition: I did not confirm this time, but there was the list of pilots getting the credit for the achievment at the battle of China,so that may make possible to confirm the name of pilots of NOTORO.


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