日本海軍軽巡洋艦「大淀」(レイテ沖海戦時)(1/700 フジミ)
IJN light cruiser Oyodo(Fujimi)

大淀
大淀
大淀

参考文献:
光人社 写真 日本の軍艦 軽巡洋艦2
KKベストセラーズ: 福井静夫著 写真 日本海軍全艦艇史
プレアデス出版 日本海軍艦艇公式図面集2 大淀

 いい具合に公式図面集が発行されたのをいいきっかけに、レイテ沖海戦時の状態で製作しました。
 沈み行く「瑞鶴」に接近していく写真にはかろうじて後楼に一三号電探が見えますが、それ 以外は基本的に連合艦隊旗艦としての改修工事を受けた時と同等のようです。この一三号は昭和十九年10月1日に横須賀第4舟渠にて防水工事を受けた 際にとりつけられたものだそうです。
refference books:
Kojinsha "picture of japanese warships lightcruiser 2"
KK bestsellers "Pictures and histroy of all IJN vessels"
Pleiades shuppann " Official blueprints of IJN vessels 2 Oyodo"

The purpose of making this ship was the publishment of original blueprint.
The model of Fujimi,s kit was VERY difficult to make it as it should be, so when Aoshima,s kit is available, you had better NOT buy Fujimi,s kit.
<艦橋>
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 艦橋は多面体で構成されていますが、一部キットの形状を修正しています。
 二一号電探の保護網は「阿賀野型」のものに近い、かなり背の低いもののようです。
 メインマストはフジミのキットについてきたエッチングと真鍮製です。
 対空監視用双眼鏡はジョーワールド製のものを使いました。
 射撃方位盤はピットロード製の「利根」用のものを載せました。

<船体>
 船体は特に改造・修正はしていません(鉄板の接合線をけがいてます)が、一部窓を埋めてあります。

<艦首>
大淀

 艦首ブルワークとフェアリーダーは、プラ板にて新造。ボラードはプラ棒で新造。
 鎖は本物の鎖に、錨はピットロード製のプラ部品に換装しています。

<主砲>
 砲塔はピットロード製のものに、「大和」用エッチングのあまりを使ってデコレートしました。
 砲身はクリッパーの真鍮製部品を使いました。

<中央構造物>
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大淀

 旧格納庫はかなりてきとうにつけられた窓をパテで埋めてからプラ材でベンチレーター類を配置。
 クレーンはゴールドメダル社製のもので、側面の肉抜き穴は本当は○穴ですが、上面の トラス構造(横転時の写真で確認できます)はエッチング製でないと無理なのであえて使いました。
 煙突の雨よけと、ジャッキステーは0.1mm真鍮線製です。
 ボートダビッドはファインモールド製のものを使用。
 ループアンテナは0.1mm真鍮線で組みました。
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<後マスト>
後マストは付属のエッチングと真鍮線で製作。一三号電探はピットロード製のものを使いました。
「大淀」の一三号電探は戦闘記録によると、昭和十九年10月にドック入りした際にとりつけられたものだそうです。

Aft mast is made of photo etched parts on original kit.
Type13 rader is from pitroad.
This type 13 rader were being installed during dock-in at Yokosuka on oct. 1944.



<艦尾>
大淀
大淀
大淀

 航空機運搬用軌条(ジョーワールド製)はそのままカッター移送用軌条に再利用されています。
 また、甲板上の25mm機銃の台は、航空機用ターンテーブルの位置に置かれているようです。
 艦尾には副錨と、エッチング製のプロペラガードをつけました。浮き輪も設置。
 1mm角材でボックスタイプの爆雷を載せました。
 応急舵は中国の新興メーカーさんのものを使ってみました。

<対空火器>
 秋月型に搭載されたものと同じ長砲身10cm高角砲はいまだに形状が不明ですが、いくつかの 再現図と解体前の写真をみた限りでは概ね形状は秋月型のそれの後半をオープンにしたものに近いようです。
 キットのものにラッタルを加え、砲身をクリッパーモデル製の真鍮製に換装しました。
 25mm機銃は3連装はファインモールド製、単装はジョーワールド製。機銃弾薬箱は 0.8mmプラ角材で再現しました。

The shapes of 10cm double AA guns are not bad. gun barrels are made of parts from Clipper models.
triple 25mm AA machineguns are from Finemold, and single 25mm guns are from Joeworld.
Machinegun,s magazine boxes are made of 0.8mm plastci lods.


<航空兵装>
大淀
大淀
大淀

 大淀の捷号作戦時の搭載機に関する記述は、防衛省に保管されている戦闘詳報戦時日誌743「大淀 他 捷号作戦」に記録が残っていました。
 それによると、「大淀」が搭載していたのは零式3座水偵2機だったそうです。
 昭和十九年10月22日11:20の記録には哨戒のため1,2号機を発進。
 24日8:10〜12:00にも発進、揚収。15時から日没まで策敵。これが飛行機を発進させた最後の記録になっています。
 25日は朝から戦闘になり、この際に飛行機は投棄された可能性もありましたが、報告書の最後に「被害」の欄があり、そこに飛行機に関する記述が ありました。
「零式水偵一号機 プロペラ・胴体など25箇所に被弾、修理不能。後に「伊勢」に託送、返納す
     2号機 20箇所に破孔、戦闘後修理」
つまり最後まで飛行機を2機積んでいたようです。
 その後、「大淀」は12月にサンホセ突入作戦に参加していますが、この際も飛行機を2機積んでいることが確認できました。
 昭和十九年12月24日17:30〜18:00(既に夜ですが、当時は月光で明るかったそうです)1、2号機を発進させたとの記録がありました。
 この作戦において大淀は中型輸送船3隻と魚雷艇一隻を大破させたと報告にありますが、この魚雷艇は10cm高角砲にて攻撃を行ったそうです。
 ついでに翌年2月の北号作戦時の記録も調べましたがこちらには飛行機を発進させた記録はみつかりませんでした。  
 北号作戦は報告書冒頭、作戦の趣旨の部分に「伊勢・日向・大淀はその航空戦力をもって敵潜水艦を制圧し」とあるのですが、「大淀」より 設備の充実している伊勢も日向も飛行機を積まなかったことは複数の記録で明らかになっていますので、大淀も積むことができなかったのかもしれません。
 ついでに、北号作戦時に「大淀」に搭載された物資の詳細も載せておきます。
輸送人員 159人 ゴム50t、錫120t、亜鉛40t、タングステン40t、水銀20t、航空機用揮発油の入ったドラム缶86個(うち14個は漏洩 のためタンクに搭載)、タンクに70t(このためにバラストタンクと旧格納庫の清水タンクを改造)。
 「ランチ」一艘を昭南港務部に預ける
とのことでした。


According to the remaining official record of operation Sho-go ,"battle report record 743 Ooyodo and others Sho-go operation" (collection of JSDF library), Oyodo cattied 2 type0 3seats recon planes.
On 22th oct.1944, 1st and 2nd plane are being launced to reconnnaissane, says the report.
Aircrafts were also launched on 24th, from 8:10 to 12:00. and that is the last record of launching aircrafts.
During the battle of Leite, there was the possibility of disposal of aircraft due to safty, but there was not.
On the end of the report, the description about damege was written. and the damages of aircrafts were recorded too.
"Type 0 reconplane 1stplane :25 damages on props and bodies and so on, failed to recover, later sent back to japan by BB ISE.
2nc plane:20 holes , later recovered."

On december 1944, at the battle of San-hose, she still carried 2 planes.
on 24th dec. from 17:30 to 18:00 (the moon was very bright that night), 2 planes are recorded to be launched.
During the battle of San-hose, Oyodo gave heavily damage to 3 middlesize merchant ships and one topedo boat(this is report from japanese side only,not confirming data of US side). and the topedo boat was bombed by long 10cm anti-aircraft guns.
I also examined the report of Kita-go operaion in feb/1945, but I could not find the record about planes.
As ISE and HYUGO, having more confitable aircraft equipments, could not carry any aircrafts, Oyodo may not afford to carry aircrafts, too.
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