帝国海軍戦艦・戦艦大和型「大和」(フルハル)(1945年1月)(1/350 タミヤ)
IJN battleship Yamato class Yamato Jan.1945(1/350 Tamiya)

タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和
参考文献:
学研 歴史群像太平洋戦史シリーズ54「戦艦『大和』『武蔵』」
「戦艦大和」(模型写真集)
ダイヤモンド社 呉市海事博物館図録 日本海軍艦艇写真集別巻「戦艦 大和・武蔵」
防衛省図書館所蔵資料 C戦闘詳報723−2「戦闘詳報軍艦大和」
「軍艦大和戦闘詳報 第三號」
           E兵器1「軍艦大和砲噴兵器」
           E兵器2「旧軍艦大和砲噴兵器」
光人社 リバイバル戦記コレクション1「大和主砲指揮所に地獄をみた」
「写真 太平洋戦争」
    ヤヌス・シコルスキー「戦艦『大和』図面集」


Reference:
Gakken history of pacificwar seris 54"Battleship Yamato and Musashi"
"Battleship Yamato" (Photos of model)
Daiamond sha/ Kures naval museum "pictures of IJN vessels Battleship Yamato and Musashi"
JSDF library source number 4 battle record 723-2" battle record of Yamato"
"battle record of Yamato no.3"
6 weapons1 "WArship Yamato,s arms"
6 weapons2 "Guns of Yamato"
Kojinsha war record "I saw hell on top of Yamato"
Blueprits of Yamato by Yanuz Sikulski
 昭和20年1月、最後のドック入り直後から、有名な上空写真の撮られた呉空襲時の状態を想定して制作しました。
 今回は依頼品のため、1943年ごろには船体と同じグレーに再塗装されていたであろう艦橋トップも、白く塗ってあります。
  <模型の甲板の制作>
   錨甲板の鎖はキット付属の本物の鎖に換装。
 木製甲板は今回、タンをベースに白・黄色・ブラウンを混ぜた塗料で塗りました。

<艦首>
タミヤ1/350大和
  <舷側>
 
 舷外電路はタミヤのエッチング製です。
<主砲>
タミヤ1/350大和
 46cm砲はタミヤ純正のアルミ製に換装。砲塔上の機銃ブルワーク弾薬箱はファインモールド製です。

 艦橋背面は、武蔵の公試中の写真と呉海事博物館の模型を参考にディティールを追加しています。

<副砲>
 
 
<艦橋>
タミヤ1/350大和 タミヤ1/350大和
 
 艦橋上の二一号電探はタミヤ純正のエッチ具製。背面の補強は0.2mm真鍮線で造りました。  二二号電探はキットのものにラッパの穴をあけました。
 


<高角砲・対空機銃>
 今回、カバー付高角砲の砲身は、クリッパー社製の真鍮製のものを使用してみました。

甲板上の指揮を受けない機銃のブルワークは海底調査と記念写真で確認できますが、これには白いふちどりがされています。
 これはおそらく、工期短縮のため、通常であれば保安のために鉄板のぷちを丸めるかパッドをするところ、そのような余裕がなかったため「ここは危険ですよ」 という意味でふちどりをしたのだと思います。
 砲塔上の機銃のブルワークは金属板で自作しました。機銃弾薬箱はファインモールド製です。 <艦尾・飛行甲板>

 飛行甲板上のリノリウム歩行帯はジョーワールド製。

 
 細かい点ですが、タミヤ製キットではクレーンの基部がちゃんと2本ある竜骨にあわせて若干中心線からずれた位置に設けられていました。
<航空機>
 「大和」は天一号作戦の際、1機だけ零式3座水偵を搭載していました。
 この飛行機は出雲雅成上飛曹機で、作戦当日0600に「大和」後部飛行甲板右舷カタパルトより前路対潜哨戒のため発進の後、指定基地に着水、 爆装の上待機、という記録があります。
 その後出雲機は指定基地から佐世保に移動待機、機体返納の後、出雲さんは館山で終戦を迎えています。
 そんなわけで出撃前の模型を作るなら右舷側カタパルトに零式3座を載せるとよろしいようです。

 しかし公式には、大和は零式3座水偵を搭載(艦内に収容)することは無理でした。
 これは、零式3座水偵は本来愛知がベンチャーで作ったもので、本来採用されるはずだった2座水偵の計画が流れてしまい予定外で採用された機体であるため、エレベーターの規格にあわない ためでした。
 これは、レイテ沖海戦時の戦闘詳報の最後に艦長の意見として「零式水観を飛ばしたがすぐに撃墜されてしまった。もっと高性能な彗星(二式艦上偵察機)や99艦爆なみの性能の瑞雲が欲しい、 これらなら大和も搭載可能(零式3座は無理)」と書かれていることで裏づけがとれました。
 逆に、95式水偵にかわって着弾観測を目的とした零式水上観測機は当初から設計段階から95式と同じスペースに収容することが求められていた結果、かなり無茶な翼の変形っぷりを見せてくれます。
 かなりの部品点数になりましたが、一応零式水観の収容シーンを作ってみました。  尚、大和型の公式な搭載機は艦固有の航空機が廃止になるまで「2座水偵×2」となっています。







<空中線>
 空中線(アンテナ)は残念ながらはっきりした資料がないので、呉の海事博物館の模型と、「武蔵」の写真を参考に展張しました。
 昭和17年6〜7月に徳山〜呉間で撮影されました「武蔵」の写真を見ると、後部アンテナマストから伸びている線のいくつかは 煙突後部方向に伸びているのがわかります。
 また、船の舵の状況を後続艦に知らせる舵柄信号も左右に見えますが、これの「基本位置」と思われる場所には白線がマストに塗装されているようです。  
 艦尾のクレーンや副砲上についていたアンテナポストは昭和20年に入ってからレイテ沖海戦時の戦訓から撤去されていたようです。
 実際、「武蔵」の乗員の方が「戦闘中、切れた空中線が甲板を蛇のようにのたうって危険だった」という証言もされています。
 1次資料出展が不明ですが学研の本には「艦尾に伸びる空中線が廃止された後は、構造物を取り囲むように空中線は展張された」とありました。
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